こんにちは、もこです。
これは、前の職場にいた頃の話です。当時の現場には、改善(カイゼン)を集中して学べる機会があって、私も一定期間、みっちり勉強させてもらったことがありました。いわば“改善道場”みたいな場でした。そこで先生をしていたのが、Oさんという大先輩でした。
Oさんには、現場の心構えをたくさん教わりました。その中で、今でも一番こころに残っているのが、この言葉です。
「無知よりもやばいのが、無関心」
「なんにでも関心を持て」
なぜ「無知」より「無関心」のほうが、こわいのか
最初は、ちょっと不思議でした。知らない(無知)ほうが困るんじゃないの?と。
でも、よく考えるとOさんの言うことは筋が通っていました。無知は、教われば直ります。知らないことは、誰かに聞いたり、学んだりすれば埋められる。新人なら知らなくて当たり前で、そこから始めればいい。
ところが、無関心は、そもそも「知ろう」という気持ちがありません。だから、気づきが生まれない。目の前に危険の芽があっても、「自分には関係ない」「いつも大丈夫」で素通りしてしまう。学ぶきっかけにすら、たどり着けない。だから無知よりタチが悪い――そういうことなんだと思います。

「お前は大丈夫」と言われた私と、ある出来事
正直、自分のことはよく分かりません。でもどうやら私は、いろんなことを広く知りたがる性分だったようで、Oさんからは「お前は大丈夫」と言ってもらえました。たまたま、関心を持つほうに転がっていただけだと思います。
逆に、よく覚えているのが、一緒に学んでいた仲間のことです。その人は、自分で発注した治具が届いても、箱すら開けずに置きっぱなしにしていました。自分で頼んだ物なのに、です。Oさんはそれを見て、「それがまさに、無関心ってことだ」と言っていました。
これは、その人を責めたい話ではありません。忙しかったり気が向かなかったり、こういうことは誰にでもあります。私も、人のことは言えません。ただ、「自分が関わったことにすら関心が向かない」のは、現場では案外あぶない兆候なんだな、と、そばで見ていて感じました。
関心は、危険に気づく“入り口”
これは、安全の話にまっすぐつながります。
機械の音が、いつもとちょっと違う。妙な匂いがする。床に小さな段差ができている。あの人、今日は顔色が悪いな――。こういう「おや?」に気づけるかどうかは、結局、関心を持っているかどうかで決まります。関心は、危険予知(KY)の入り口そのものなんですね。

逆に無関心だと、「いつも大丈夫だから」で全部スルーしてしまう。その見過ごした小さな芽が、ヒヤリ・ハットになり、いつか大きな事故になる。以前書いたAIと一緒に危険予知(KY)をやる話も、ハインリッヒの法則の話も、出発点はぜんぶ「気づけるかどうか」でした。
安全だけじゃない。関心は、人とのつながりも、成長も連れてくる
そしてこれは、安全に限った話でもないと思っています。
無関心だと、人とのコミュニケーションもうまくいきません。相手に関心がなければ、会話は続かないし、変化にも気づけない。それに、関心がないところには、学びも成長も生まれない。「なんでだろう?」「どうなってるんだろう?」という関心こそが、人を伸ばしてくれる気がします。
Oさんが「なんにでも関心を持て」と言っていたのは、たぶん、安全のためだけじゃなかったんだと思います。関心を持って過ごすことそのものを、教えてくれていたのかもしれません。
おわりに
知らないことは、恥ずかしくありません。聞けばいいし、学べばいい。でも、関心を持つことだけは、自分にしかできない。
今日の現場で、いつもと違う音や、ちょっとした違和感に、ひとつでも「おや?」と気づけたら――それはもう、立派な安全の第一歩だと思います。
なんにでも、関心を持って。
以上、ご安全に!!

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